2020年08月14日20:01
この話題は決して生半可な気持ちで語っていいものではない。もし語るのならば自身の役者魂の全てをもって挑まなければならないだろう。
それを分かった上で敢えてこの話題を口にしたのなら、私も誠心誠意をもって答えさせてもらおう。私の今日の稽古場日記の枠、全てを使って。
美内すずえによる日本の少女漫画作品。1976年から連載が始まり、未だに未完となっている。2014年9月の時点で累計発行部数が5000万部を突破した大ベストセラーで、平凡な一人の少女が、ライバルとの葛藤を通して眠れる芝居の才能を開花させ、成長していく過程を描いた作品である。

登場人物
北島マヤ
主人公。神奈川県横浜市出身。女優として天賦の才を生まれ持った少女。目標に向かって一心不乱に努力するひたむきさは、時に周囲を圧倒する。演技への激しい情熱で、多くの苦難を乗り越えていく。2月20日生まれ。
姫川亜弓
もう1人の主人公。劇団オンディーヌ所属の女優。幼い時から演技の才能を謳われる才媛で、自身の実力に強い自信を持っていたが、マヤと出会って自信を揺らがせていく。マヤのライバル兼一番の理解者。不正や卑怯な手段を何よりも嫌う。8月5日生まれ。
月影千草
往年の大女優。劇団つきかげの主宰者であり、マヤの師匠。演劇史に名を残す名作『紅天女』の主役を務めた唯一の人物で、現在の『紅天女』上演権の持ち主。マヤの才能を見出し、自分の後継者として彼女を厳しく教育し、見守っている。10月29日生まれ。
速水真澄
大都芸能社長秘書→社長。業界には辣腕若手社長として名を知られ、仕事の為なら時に冷酷な手段も厭わない。速水英介は継父であり、実父の顔を知らない。マヤとは悪態をついてからかう間柄だが、やがて真剣に彼女を愛するようになっていく。11月3日生まれ。
中学2年の夏休み。
家においてあったお母さんの漫画を何気なく手に取ったところから私のガラスの仮面人生は始まりました。あまりの面白さに寝食を惜しんで漫画を読みふけった結果、視力が一気に低下し眼鏡を必要とするまでになりました。視力と引き換えに私の中の才能が目覚めた・・・不思議な縁を感じます。
その後私は高校で演劇を始めるわけですが、演劇部を選んだキッカケの1つがガラスの仮面だったかどうかは定かじゃないです。単に運動部に入りたくなくて文化部を選んだだけですし、本当は吹奏楽部に入ろうとしたけど入部希望者がいっぱいだったから演劇部にした感じですしね。
ただ、何かを選ぶときの基準って、過去に起きた様々な要因による結果なんですよね。なるべくしてなるといいますか。私が演劇部を選んだことも、ガラスの仮面を読んだことも、今の私の演劇人生には欠かすことの出来ない大事な要因であることは確かだと思います。
まず、私はこの漫画に恋愛要素はとくに求めていません。恋愛は単なるオモシロ要素だと思ってます。なので、紅天女を争う大事な時期に恋愛にうつつを抜かしている北島マヤはもはやギャグです。いやいやいや、芝居しろ。紫のバラとかおチビちゃんとかね、そういうのはいいから、まず芝居しろ。
じゃあ演劇的にすごく参考にしてるかと言われればほとんど参考にしてません。だって真似出来ないですもん。役をつかむために山の中で狼のように生活して遭難するとか、人形の動きを身につけるために切った竹を体中に巻き付けるとか、出来ないですもん。そんなことしなくても演技出来ると思う。うん。
では何が好きなのか。
・・・私にも正直分かりません(笑)
ツッコミどころ満載ですし、あり得ないくらいの精神論だらけなんですが、なぜかガラス仮面を読むと舞台に立ちたくなるんです。
この漫画では「北島マヤ=天才」「姫川亜弓=努力」として描かれていることが多いんですが、凡人の私としてはやはり姫川亜弓にシンパシーを感じるんです。容姿端麗で芝居も上手く、しかも親は有名監督&大女優で、自宅にはばあやがいるようなお嬢様っていう、周りから見れば恵まれまくっている姫川亜弓ですが、決して満足せず常に劣等感をもって貪欲に芝居に向き合い続けてる、このストイックな亜弓さんがたまらなく好きです。
そうです、私は姫川亜弓派です!!
マヤ派か亜弓派かはガラスの仮面好きの間では必ず議論されるところだと思いますが、すみません、私は絶対的に姫川亜弓派です。どっちも好き、ではなくて姫川亜弓が好きです。強いて言うなら、月影先生はちょっと好きです。
なので私が選ぶ名シーンは姫川亜弓に偏ると思いますがそこはご了承下さい。

これは有名なシーンなので知っている方も多いと思います。
ロミオとジュリエットの芝居をジュリエットの視点で描いた「一人芝居・ジュリエット」での1シーンです。長椅子に腰掛けて、手に止まったヒバリと戯れるジュリエット(姫川亜弓)。
舞台上には舞台セットがなく、パントマイム(身体表現)で様々なものを演じていきます。つまり、この長椅子は空気椅子です。実際には椅子がないのに腰掛けているように見える。しかも片足で全体重を支えているという神業です。
このシーン、真似した役者は数多くいることでしょう。
私もやりましたよ。そして亜弓さんの凄さを目の当たりにしましたよ。
実際に漫画でもこの芝居を見た北島マヤはかなり動揺します。そして月影先生に、亜弓さんと同じ演技をしてみろと言われ演じるのですが、亜弓さんのように身体を動かすことが出来ない自分にショックを受けます。
そう、やっぱり役者は表現出来るだけの身体をもってないとダメなんですよ。
北島マヤもそれに気づいて、ここからは身体を鍛えることにも目を向けるようになります。そういう精神論だけじゃない部分はガラス仮面の中でも評価はしています。亜弓さんの場合は幼少期から身体を鍛えているあたり、そういう部分は早めに本能的に気づいたんだと思います。
ちなみに姫川亜弓はこの芝居でアカデミー芸術祭大賞を受賞し、紅天女の候補となります。この舞台後の挨拶がまたカッコいいんですよ〜。
「わたくしが挑戦したのは、きのうまでの自分自身です。勝つことができて、うれしく思っています。」

北島マヤを陥れ、舞台から消し去った乙部のりえという役者に復讐するために、亜弓さんが決して使わなかった禁じ手「パパの七光り」を使って乙部との共演を果たした舞台『カーミラの肖像』。
乙部のりえは北島マヤの演技のコピーをすることで成り上がった役者です。本体(マヤ)を消してコピー(乙部)が本物になろうとした結果がどうなるか、この舞台で姫川亜弓が見せつけてくれるわけです。
舞台の幕が上がると同時に得体の知れない緊張感が舞台を包み込んでいきます。乙部も舞台袖でそれを感じます。「この舞台私には不利よ・・・なんだかそんな気がするわ・・・」「姫川亜弓なんかに負けられるものですか・・・主役はわたしなんだから・・・」と不安に押しつぶされないように自らを奮い立たせる乙部。しかし姫川亜弓の恨みは遥かに強い。
「舞台の上では実力と才能だけがものをいうのだということをわからせてあげる・・・!北島マヤとの差がどんなものか教えてあげる・・・今こそ!」
舞台は姫川亜弓の圧勝で終わります。主役の乙部ではなく、脇役の亜弓さんの演技に観客たちは目を奪われ、評論家たちも姫川亜弓の演技力があったからこその成功だと誉め称えます。そして敗北した乙部は初めて気づくのです。
「北島マヤ・・・あの二人はライバルなのよ・・・姫川亜弓のライバル!北島マヤ、姫川亜弓、完全な敗北・・・」
これはですね、もちろん賛否両論あります。まず稽古中に亜弓さんはちょっと手を抜いてるんですよ。本気を出し切ってないというか、演技をあえて抑えてるんです。で、いきなり本番で演技力を出し切るんです。本来だったら絶対やっちゃダメなやつです。
しかもそのせいで主役を消しちゃってる。舞台っていうのは、主役は主役の役割が、脇役は脇役の役割があるんです。その均衡を崩してしまうと舞台そのものが壊れてしまうんですね。そうならないように稽古をしながら調整していくのが演出家の役割なんですけど、亜弓さんはそれを完全に無視してます。舞台そのものを自分の復讐劇に使うというとんでもない我が侭役者になっちゃってます。超迷惑です。
まあたしかに、乙部のりえが北島マヤを陥れた経緯が悪すぎました。スキャンダルをでっち上げて名誉毀損並みに陥れ、マヤが世間から嫌われるように仕向けた乙部に対して、同じように世間的に嫌われるようにしたかった亜弓さんの気持ちも分かる!でもね、ダメです。
ただこのカーミラの演技は本当に良かったんですよ。そして亜弓さんの絶対的な自信ですよね。自分が圧勝すると信じていたからこそ、ここまでの暴挙に出たわけですよ。普通の役者ならそんなこと出来ないですよ。そんな自信もてないです。
姫川亜弓が自信を失うのは北島マヤに対してだけなんです。北島マヤが存在しているからこそ、亜弓さんは上を目指すことが出来る。決して慢心せずに高みを目指すことが出来る。そして亜弓さんは、その自分自身の努力を自信に変えて光り輝くわけです。やってきたことや、自分が得てきた全てのことを余すことなく使って舞台に立つ姿はやっぱりカッコイイ。

これは名シーンと言いますか、さきほどもちょっと触れましたが、私は亜弓さんが悔しがるシーンが大好きなんです。
北島マヤは天真爛漫という性格を武器に、結構周りの役者を傷つけます。もちろん北島マヤも努力してますよ。吹雪の中一晩中物置小屋に閉じ込められたり、四方八方からボールを投げつけられたり、芝居中一切の瞬きを禁止されたり、相当な努力をしてるのは認めます。でもね、結局は出来ちゃうんですよ。「あ、分かった」みたいな感じでビビッとやれちゃうんですよ。そのくせ「私なんて・・・」とか「みんなやってることだと思ってた・・・」みたいなことを言うわけです。
いやもう、いっそ自慢してほしい!こんな苦労をして、だからここまでやれるようになったんだ、どうだ凄いだろって言ってほしい!!
亜弓さんはそこのところは一切隠しません。自分がした努力も認めているし、それゆえの自信も兼ね備えてる。強い人だなって思います。そんな亜弓さんが唯一自分の存在を否定したくなる相手が北島マヤ。自分より才能のある人を見てるとすごく悲しい気持ちになりますよね。亜弓さんはいつもそれを感じて、一人泣いて戦ってるんです。
だからこそ北島マヤのあの天真爛漫な無自覚さに腹が立つ!そして亜弓さんがその感情を爆発させたこの喧嘩のシーンがすごく嬉しかった!
私、役者のときって結構強気な発言をするんですけど、あれは北島マヤに対する嫌悪感からなのかもしれません。「私なんて」って言ってる人に負けたくないって私は思っちゃうんですね。どうせ負けるなら姫川亜弓みたいな役者に負けたいんです。だからちょっと乙部のりえが羨ましい。亜弓さんの悔しさとかってものすごく共感出来るし、だからこそ自分も努力してもっともっと上手くなりたいって思えるんですよね。
ま、結局、姫川亜弓が好きっていう話なんです。はい。
ちょっと熱くなり過ぎてしまって、ガラスの仮面を知らない方からすると訳が分からない稽古場日記になってしまいました。。。ごめんなさい。
いやね、私にこの手の話を振るとこうなるって!
稽古場に漫画を持ってきて、適当に開いたページのモノマネをやってたくらいの女なんだから、こうなっちゃうに決まってるじゃない!
きっとこのフォローはきゅんが責任をもってしてくれると信じてます。
ちなみに、この稽古場日記を書くにあたり真剣に取り組み過ぎたため2日ほどトレーニングが出来ませんでした。まあ暑いのでね、あまり無理しても身体を壊しますし、いい意味で身体も心も休めたかな〜なんて思ってます。
解答14。≫
カテゴリー │中西「きゅんの質問に応えてあげよう!」
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この話題は決して生半可な気持ちで語っていいものではない。もし語るのならば自身の役者魂の全てをもって挑まなければならないだろう。
それを分かった上で敢えてこの話題を口にしたのなら、私も誠心誠意をもって答えさせてもらおう。私の今日の稽古場日記の枠、全てを使って。
「ガラスの仮面」とは(Wikipediaより)
美内すずえによる日本の少女漫画作品。1976年から連載が始まり、未だに未完となっている。2014年9月の時点で累計発行部数が5000万部を突破した大ベストセラーで、平凡な一人の少女が、ライバルとの葛藤を通して眠れる芝居の才能を開花させ、成長していく過程を描いた作品である。
登場人物
北島マヤ
主人公。神奈川県横浜市出身。女優として天賦の才を生まれ持った少女。目標に向かって一心不乱に努力するひたむきさは、時に周囲を圧倒する。演技への激しい情熱で、多くの苦難を乗り越えていく。2月20日生まれ。
姫川亜弓
もう1人の主人公。劇団オンディーヌ所属の女優。幼い時から演技の才能を謳われる才媛で、自身の実力に強い自信を持っていたが、マヤと出会って自信を揺らがせていく。マヤのライバル兼一番の理解者。不正や卑怯な手段を何よりも嫌う。8月5日生まれ。
月影千草
往年の大女優。劇団つきかげの主宰者であり、マヤの師匠。演劇史に名を残す名作『紅天女』の主役を務めた唯一の人物で、現在の『紅天女』上演権の持ち主。マヤの才能を見出し、自分の後継者として彼女を厳しく教育し、見守っている。10月29日生まれ。
速水真澄
大都芸能社長秘書→社長。業界には辣腕若手社長として名を知られ、仕事の為なら時に冷酷な手段も厭わない。速水英介は継父であり、実父の顔を知らない。マヤとは悪態をついてからかう間柄だが、やがて真剣に彼女を愛するようになっていく。11月3日生まれ。
「ガラスの仮面」との出会い
中学2年の夏休み。
家においてあったお母さんの漫画を何気なく手に取ったところから私のガラスの仮面人生は始まりました。あまりの面白さに寝食を惜しんで漫画を読みふけった結果、視力が一気に低下し眼鏡を必要とするまでになりました。視力と引き換えに私の中の才能が目覚めた・・・不思議な縁を感じます。
その後私は高校で演劇を始めるわけですが、演劇部を選んだキッカケの1つがガラスの仮面だったかどうかは定かじゃないです。単に運動部に入りたくなくて文化部を選んだだけですし、本当は吹奏楽部に入ろうとしたけど入部希望者がいっぱいだったから演劇部にした感じですしね。
ただ、何かを選ぶときの基準って、過去に起きた様々な要因による結果なんですよね。なるべくしてなるといいますか。私が演劇部を選んだことも、ガラスの仮面を読んだことも、今の私の演劇人生には欠かすことの出来ない大事な要因であることは確かだと思います。
「ガラスの仮面」愛
まず、私はこの漫画に恋愛要素はとくに求めていません。恋愛は単なるオモシロ要素だと思ってます。なので、紅天女を争う大事な時期に恋愛にうつつを抜かしている北島マヤはもはやギャグです。いやいやいや、芝居しろ。紫のバラとかおチビちゃんとかね、そういうのはいいから、まず芝居しろ。
じゃあ演劇的にすごく参考にしてるかと言われればほとんど参考にしてません。だって真似出来ないですもん。役をつかむために山の中で狼のように生活して遭難するとか、人形の動きを身につけるために切った竹を体中に巻き付けるとか、出来ないですもん。そんなことしなくても演技出来ると思う。うん。
では何が好きなのか。
・・・私にも正直分かりません(笑)
ツッコミどころ満載ですし、あり得ないくらいの精神論だらけなんですが、なぜかガラス仮面を読むと舞台に立ちたくなるんです。
この漫画では「北島マヤ=天才」「姫川亜弓=努力」として描かれていることが多いんですが、凡人の私としてはやはり姫川亜弓にシンパシーを感じるんです。容姿端麗で芝居も上手く、しかも親は有名監督&大女優で、自宅にはばあやがいるようなお嬢様っていう、周りから見れば恵まれまくっている姫川亜弓ですが、決して満足せず常に劣等感をもって貪欲に芝居に向き合い続けてる、このストイックな亜弓さんがたまらなく好きです。
そうです、私は姫川亜弓派です!!
マヤ派か亜弓派かはガラスの仮面好きの間では必ず議論されるところだと思いますが、すみません、私は絶対的に姫川亜弓派です。どっちも好き、ではなくて姫川亜弓が好きです。強いて言うなら、月影先生はちょっと好きです。
なので私が選ぶ名シーンは姫川亜弓に偏ると思いますがそこはご了承下さい。
中西が選ぶ「ガラスの仮面」ベストシーン 〜その1〜
これは有名なシーンなので知っている方も多いと思います。
ロミオとジュリエットの芝居をジュリエットの視点で描いた「一人芝居・ジュリエット」での1シーンです。長椅子に腰掛けて、手に止まったヒバリと戯れるジュリエット(姫川亜弓)。
舞台上には舞台セットがなく、パントマイム(身体表現)で様々なものを演じていきます。つまり、この長椅子は空気椅子です。実際には椅子がないのに腰掛けているように見える。しかも片足で全体重を支えているという神業です。
このシーン、真似した役者は数多くいることでしょう。
私もやりましたよ。そして亜弓さんの凄さを目の当たりにしましたよ。
実際に漫画でもこの芝居を見た北島マヤはかなり動揺します。そして月影先生に、亜弓さんと同じ演技をしてみろと言われ演じるのですが、亜弓さんのように身体を動かすことが出来ない自分にショックを受けます。
そう、やっぱり役者は表現出来るだけの身体をもってないとダメなんですよ。
北島マヤもそれに気づいて、ここからは身体を鍛えることにも目を向けるようになります。そういう精神論だけじゃない部分はガラス仮面の中でも評価はしています。亜弓さんの場合は幼少期から身体を鍛えているあたり、そういう部分は早めに本能的に気づいたんだと思います。
ちなみに姫川亜弓はこの芝居でアカデミー芸術祭大賞を受賞し、紅天女の候補となります。この舞台後の挨拶がまたカッコいいんですよ〜。
「わたくしが挑戦したのは、きのうまでの自分自身です。勝つことができて、うれしく思っています。」
中西が選ぶ「ガラスの仮面」ベストシーン 〜その2〜
北島マヤを陥れ、舞台から消し去った乙部のりえという役者に復讐するために、亜弓さんが決して使わなかった禁じ手「パパの七光り」を使って乙部との共演を果たした舞台『カーミラの肖像』。
乙部のりえは北島マヤの演技のコピーをすることで成り上がった役者です。本体(マヤ)を消してコピー(乙部)が本物になろうとした結果がどうなるか、この舞台で姫川亜弓が見せつけてくれるわけです。
舞台の幕が上がると同時に得体の知れない緊張感が舞台を包み込んでいきます。乙部も舞台袖でそれを感じます。「この舞台私には不利よ・・・なんだかそんな気がするわ・・・」「姫川亜弓なんかに負けられるものですか・・・主役はわたしなんだから・・・」と不安に押しつぶされないように自らを奮い立たせる乙部。しかし姫川亜弓の恨みは遥かに強い。
「舞台の上では実力と才能だけがものをいうのだということをわからせてあげる・・・!北島マヤとの差がどんなものか教えてあげる・・・今こそ!」
舞台は姫川亜弓の圧勝で終わります。主役の乙部ではなく、脇役の亜弓さんの演技に観客たちは目を奪われ、評論家たちも姫川亜弓の演技力があったからこその成功だと誉め称えます。そして敗北した乙部は初めて気づくのです。
「北島マヤ・・・あの二人はライバルなのよ・・・姫川亜弓のライバル!北島マヤ、姫川亜弓、完全な敗北・・・」
これはですね、もちろん賛否両論あります。まず稽古中に亜弓さんはちょっと手を抜いてるんですよ。本気を出し切ってないというか、演技をあえて抑えてるんです。で、いきなり本番で演技力を出し切るんです。本来だったら絶対やっちゃダメなやつです。
しかもそのせいで主役を消しちゃってる。舞台っていうのは、主役は主役の役割が、脇役は脇役の役割があるんです。その均衡を崩してしまうと舞台そのものが壊れてしまうんですね。そうならないように稽古をしながら調整していくのが演出家の役割なんですけど、亜弓さんはそれを完全に無視してます。舞台そのものを自分の復讐劇に使うというとんでもない我が侭役者になっちゃってます。超迷惑です。
まあたしかに、乙部のりえが北島マヤを陥れた経緯が悪すぎました。スキャンダルをでっち上げて名誉毀損並みに陥れ、マヤが世間から嫌われるように仕向けた乙部に対して、同じように世間的に嫌われるようにしたかった亜弓さんの気持ちも分かる!でもね、ダメです。
ただこのカーミラの演技は本当に良かったんですよ。そして亜弓さんの絶対的な自信ですよね。自分が圧勝すると信じていたからこそ、ここまでの暴挙に出たわけですよ。普通の役者ならそんなこと出来ないですよ。そんな自信もてないです。
姫川亜弓が自信を失うのは北島マヤに対してだけなんです。北島マヤが存在しているからこそ、亜弓さんは上を目指すことが出来る。決して慢心せずに高みを目指すことが出来る。そして亜弓さんは、その自分自身の努力を自信に変えて光り輝くわけです。やってきたことや、自分が得てきた全てのことを余すことなく使って舞台に立つ姿はやっぱりカッコイイ。
中西が選ぶ「ガラスの仮面」ベストシーン 〜その3〜
これは名シーンと言いますか、さきほどもちょっと触れましたが、私は亜弓さんが悔しがるシーンが大好きなんです。
北島マヤは天真爛漫という性格を武器に、結構周りの役者を傷つけます。もちろん北島マヤも努力してますよ。吹雪の中一晩中物置小屋に閉じ込められたり、四方八方からボールを投げつけられたり、芝居中一切の瞬きを禁止されたり、相当な努力をしてるのは認めます。でもね、結局は出来ちゃうんですよ。「あ、分かった」みたいな感じでビビッとやれちゃうんですよ。そのくせ「私なんて・・・」とか「みんなやってることだと思ってた・・・」みたいなことを言うわけです。
いやもう、いっそ自慢してほしい!こんな苦労をして、だからここまでやれるようになったんだ、どうだ凄いだろって言ってほしい!!
亜弓さんはそこのところは一切隠しません。自分がした努力も認めているし、それゆえの自信も兼ね備えてる。強い人だなって思います。そんな亜弓さんが唯一自分の存在を否定したくなる相手が北島マヤ。自分より才能のある人を見てるとすごく悲しい気持ちになりますよね。亜弓さんはいつもそれを感じて、一人泣いて戦ってるんです。
だからこそ北島マヤのあの天真爛漫な無自覚さに腹が立つ!そして亜弓さんがその感情を爆発させたこの喧嘩のシーンがすごく嬉しかった!
私、役者のときって結構強気な発言をするんですけど、あれは北島マヤに対する嫌悪感からなのかもしれません。「私なんて」って言ってる人に負けたくないって私は思っちゃうんですね。どうせ負けるなら姫川亜弓みたいな役者に負けたいんです。だからちょっと乙部のりえが羨ましい。亜弓さんの悔しさとかってものすごく共感出来るし、だからこそ自分も努力してもっともっと上手くなりたいって思えるんですよね。
ま、結局、姫川亜弓が好きっていう話なんです。はい。
エピローグ
ちょっと熱くなり過ぎてしまって、ガラスの仮面を知らない方からすると訳が分からない稽古場日記になってしまいました。。。ごめんなさい。
いやね、私にこの手の話を振るとこうなるって!
稽古場に漫画を持ってきて、適当に開いたページのモノマネをやってたくらいの女なんだから、こうなっちゃうに決まってるじゃない!
きっとこのフォローはきゅんが責任をもってしてくれると信じてます。
ちなみに、この稽古場日記を書くにあたり真剣に取り組み過ぎたため2日ほどトレーニングが出来ませんでした。まあ暑いのでね、あまり無理しても身体を壊しますし、いい意味で身体も心も休めたかな〜なんて思ってます。