2021年02月12日20:47
夜のランニング用にジョガーパンツを買いました。
いや、さすがにタイツだけで夜に走るのは寒くて。ちょっと前からタイツの上に履けるようなジョガーパンツを探してたんですが、なかなかいい物が見つかりませんでした。
ジョガーパンツってシルエットが難しいですよね。イメージしてる姿はあるんです。でも実際に履いてみると「ん?」ってなるんですよ。あれ、なんかカッコ悪い気がする。。。
というか私、ジョガーパンツだけじゃなくてスウェットとかサルエルパンツとか全然似合わないんですよ。似合えるパンツの種類が少ないから、おしゃれが楽しめない残念な人なんです。
諦めかけていた時に、不意に見つけたブランドでも何でもないジョガーパンツ。試着室で履いた瞬間、すぐにこれが運命の出会いだと分かりました。めっちゃ合うー!!シルエットもそうですけど、動きやすさも足首の締め付け感もちょうどいい!
諦めないで本当に良かった。これで安心して夜のランニングにも冬山登山にも臨めます!
2/7 11Kmラン
2/10 8Kmラン
2/11 6Kmラン
順調に走れてたんですけどね、やっちゃいました。足を捻りました。かぶちゃん流にいうならアシグネるです。
すっごくいいコースを発見したんですよ〜。引佐湖って皆さんはご存知ですか?浜松の方は小学校時代にキャンプをしたり林間学校で訪れたりするみたいですが、私は初めましてでした。


一周約7Km。くるっと回るだけでもいい運動になりますし、少し脇道に入るとハイキングやトレランを楽しめる、最高に素晴らしい場所です!


1回目走って引佐湖の魅力にハマりましてね、早速次の休みの日にも走ったんですよ。脇道に入って山道を探索しながら、「景色が綺麗〜」なんて呑気に走ってたらですね、足下の石を踏んだ時にバランスを崩して右足をグネりました。ううっ、痛い。
足首ではなく、その上が痛いんですよね。長腓骨筋だと思われます。あと、この捻り以外にもスピード練習をした後から右大転子周辺の筋肉もなぜか痛いです。
走ってるとどうしても怪我が付きものになってきます。怪我が怖いから走らなくなるという本末転倒な事態にもなりかねません。しばらくは足を休めて、また落ち着いたら走り出そうと思います。
順調にまた一冊本を読み終えまして、次の本に突入しております。今読んでいるのは、有名な作家さんたちが同じテーマで書いたミステリーの短編集です。
こういう企画って面白いですよね。それぞれの作家さんの個性が出ますし、「ああ、こういう解釈もあるんだな」って感性も刺激されます。
同じテーマでそれぞれが物語を作る。カラクリでもやってみたいな。
お、めずらしく質問がないぞ。
きゅんも忙しそうだから、落ち着くまではちょっとのんびりペースでこのコーナーはやっていきたいと思います。
でもせっかくなので、今回は前回の質問にあった長台詞のことを少し触れたいと思います。
きゅん自身の稽古場日記にも書いてあった
「情景見てるだけじゃ上手くいかなくねっていうかなんていうんですか、見てるだけじゃなんも表出されないし、どんくらい計算してどんくらい感覚でやって、かつ「その場にいる」っつっても長台詞が表現してる比喩表現みたいなとこってあるじゃん、それ考えたら風景描写を風景描写のまま表現したらだめじゃん、そもそも情景を見るっていうかその場の空気を肌で感じる、とか匂いとか、それ以前に前後のシーンの繋がりによる対応とか全体から見てどんな役割なのかとか色々あるじゃんやだもうむずかしいできないむずかしいでもできたい」
っていう、これ。
これを言ってる内は見えてないです、情景が。その場にいないです、役者が。
情景が見えてその場にいれば、それだけで表現出来るんです。見てるだけじゃ上手くいかないってことなら、見えてないだけのこと。比喩表現が理解できないのなら、その場にいないってこと。キャラクターが成立してないっていう、もっと別の問題が発生してるだけのこと。非常に簡単な話です。
調合奇妙の稽古をしていた時、どうしても理解できない長台詞がありました。台詞を言ってる自分が空回りしてるのが分かるんです。これはただ形を作ってるだけだなって。でも何度も何度も稽古してるうちに、急に分かったんです。この台詞の意味が。
その瞬間、一瞬にして目の前の景色が変わって、自分がどう動くべきか、どう声を出すべきかが明確に分かったんです。分かったというか、勝手にそうなったという感覚ですね。もう本当に、それまで稽古してた自分の演技がいかに浅はかだったか分かるくらい、明確に自分の演技が変わったのが分かりました。

見えて、その場にいればそれでいい。
美しい情景というのは、その人物にとって美しいものなんですよね。例えば同じ台詞を同じ人物が言ったとしても、シーンによっては全く別の印象を与えることができるわけです。その時見えている情景やその場によって表現されるものは変わるわけですよ。美しいはずだったものが、そうでないものに変わるかもしれない。それはその時に見える情景が変わるからであって、台詞そのものが持っている比喩表現とかは関係ないんです。
言葉というか、字面で感情を表現しようとするのはやめたほうがいいと思います。何が書いてあるかではなく、何が見えているか。見えているからこそ台詞がうまれるのであって、台詞が先にあるわけではないのに台詞から考えようとしちゃうから変なことになるんじゃないかな。
上手く説明できないですけど、そんな感じです。
ジョガーパンツと、アシグネると、解答22の補足。≫
カテゴリー │中西「きゅんの質問に応えてあげよう!」
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夜のランニング用にジョガーパンツを買いました。
いや、さすがにタイツだけで夜に走るのは寒くて。ちょっと前からタイツの上に履けるようなジョガーパンツを探してたんですが、なかなかいい物が見つかりませんでした。
ジョガーパンツってシルエットが難しいですよね。イメージしてる姿はあるんです。でも実際に履いてみると「ん?」ってなるんですよ。あれ、なんかカッコ悪い気がする。。。
というか私、ジョガーパンツだけじゃなくてスウェットとかサルエルパンツとか全然似合わないんですよ。似合えるパンツの種類が少ないから、おしゃれが楽しめない残念な人なんです。
諦めかけていた時に、不意に見つけたブランドでも何でもないジョガーパンツ。試着室で履いた瞬間、すぐにこれが運命の出会いだと分かりました。めっちゃ合うー!!シルエットもそうですけど、動きやすさも足首の締め付け感もちょうどいい!
諦めないで本当に良かった。これで安心して夜のランニングにも冬山登山にも臨めます!
体力と筋力の話
2/7 11Kmラン
2/10 8Kmラン
2/11 6Kmラン
順調に走れてたんですけどね、やっちゃいました。足を捻りました。かぶちゃん流にいうならアシグネるです。
すっごくいいコースを発見したんですよ〜。引佐湖って皆さんはご存知ですか?浜松の方は小学校時代にキャンプをしたり林間学校で訪れたりするみたいですが、私は初めましてでした。


一周約7Km。くるっと回るだけでもいい運動になりますし、少し脇道に入るとハイキングやトレランを楽しめる、最高に素晴らしい場所です!


1回目走って引佐湖の魅力にハマりましてね、早速次の休みの日にも走ったんですよ。脇道に入って山道を探索しながら、「景色が綺麗〜」なんて呑気に走ってたらですね、足下の石を踏んだ時にバランスを崩して右足をグネりました。ううっ、痛い。
足首ではなく、その上が痛いんですよね。長腓骨筋だと思われます。あと、この捻り以外にもスピード練習をした後から右大転子周辺の筋肉もなぜか痛いです。
走ってるとどうしても怪我が付きものになってきます。怪我が怖いから走らなくなるという本末転倒な事態にもなりかねません。しばらくは足を休めて、また落ち着いたら走り出そうと思います。
感性の話
順調にまた一冊本を読み終えまして、次の本に突入しております。今読んでいるのは、有名な作家さんたちが同じテーマで書いたミステリーの短編集です。
こういう企画って面白いですよね。それぞれの作家さんの個性が出ますし、「ああ、こういう解釈もあるんだな」って感性も刺激されます。
同じテーマでそれぞれが物語を作る。カラクリでもやってみたいな。
きゅんの質問に応えてあげようのコーナー
お、めずらしく質問がないぞ。
きゅんも忙しそうだから、落ち着くまではちょっとのんびりペースでこのコーナーはやっていきたいと思います。
でもせっかくなので、今回は前回の質問にあった長台詞のことを少し触れたいと思います。
きゅん自身の稽古場日記にも書いてあった
「情景見てるだけじゃ上手くいかなくねっていうかなんていうんですか、見てるだけじゃなんも表出されないし、どんくらい計算してどんくらい感覚でやって、かつ「その場にいる」っつっても長台詞が表現してる比喩表現みたいなとこってあるじゃん、それ考えたら風景描写を風景描写のまま表現したらだめじゃん、そもそも情景を見るっていうかその場の空気を肌で感じる、とか匂いとか、それ以前に前後のシーンの繋がりによる対応とか全体から見てどんな役割なのかとか色々あるじゃんやだもうむずかしいできないむずかしいでもできたい」
っていう、これ。
これを言ってる内は見えてないです、情景が。その場にいないです、役者が。
情景が見えてその場にいれば、それだけで表現出来るんです。見てるだけじゃ上手くいかないってことなら、見えてないだけのこと。比喩表現が理解できないのなら、その場にいないってこと。キャラクターが成立してないっていう、もっと別の問題が発生してるだけのこと。非常に簡単な話です。
調合奇妙の稽古をしていた時、どうしても理解できない長台詞がありました。台詞を言ってる自分が空回りしてるのが分かるんです。これはただ形を作ってるだけだなって。でも何度も何度も稽古してるうちに、急に分かったんです。この台詞の意味が。
その瞬間、一瞬にして目の前の景色が変わって、自分がどう動くべきか、どう声を出すべきかが明確に分かったんです。分かったというか、勝手にそうなったという感覚ですね。もう本当に、それまで稽古してた自分の演技がいかに浅はかだったか分かるくらい、明確に自分の演技が変わったのが分かりました。

見えて、その場にいればそれでいい。
美しい情景というのは、その人物にとって美しいものなんですよね。例えば同じ台詞を同じ人物が言ったとしても、シーンによっては全く別の印象を与えることができるわけです。その時見えている情景やその場によって表現されるものは変わるわけですよ。美しいはずだったものが、そうでないものに変わるかもしれない。それはその時に見える情景が変わるからであって、台詞そのものが持っている比喩表現とかは関係ないんです。
言葉というか、字面で感情を表現しようとするのはやめたほうがいいと思います。何が書いてあるかではなく、何が見えているか。見えているからこそ台詞がうまれるのであって、台詞が先にあるわけではないのに台詞から考えようとしちゃうから変なことになるんじゃないかな。
上手く説明できないですけど、そんな感じです。